今までの”日記”はただの”チラ裏”だった。試行錯誤を残すことが”日記”なのかもしれない。
今まで、「日記を書こう」「何か残していこう」と思って、ノートや手帳、Evernoteなどに日記を書いてきた。
けれど、続かず、振り返ることもなく手帳やノートは処分してしまっていた。
Evernoteに少し残っていた日記を見返してみると、悩んでいることを言葉にして、頭の整理をするために書いていて、読み返すとその時の辛い気分や苦しい感覚が戻ってきて、ただただ暗い気持ちになって読み返す気にはなれなかった。
いつもノートに書く時は、苦しい頭の中をひたすら言葉にしていき、文章にしながら落とし所を見つけて気持ちを落ち着ける作業のようだった。
上手くいかない気持ちや、イライラを書いていき、自分で納得できる言葉につなげていく。
その時は気持ちが落ち着くが、結局、そこには何をやって、何を失敗して、何を得たのかが書かれているわけではなく、自分がやってきたことの積み重ねがそこに残っているわけではなかった。
だから、日記として続くことはなく、後から読み返せるものでもなかった。
そのことに気づくきっかけをくれたのはあるメンターからの”宿題”だった。
- 何をやったか
- 良かったこと
- 悪かったこと
これを記録して、次の機会に話すという宿題。
これをやっておけば、何かを勉強する時はもちろん、仕事でも、自分が何をやってきたのかがそこに残っているから、壁にぶつかった時に必ず役に立つ。
シンプルなことだけど、シンプルだからこそ、残す意味がスッと腑に落ちた。
今までの自分に足りなかったこと。
頭の整理のためにノートに書いたことを残すのではなく、それは”何をやったか”で、
そこから何を得て、何が失敗だったのかを書き記しておくこと。
それが”日記”をつけることなんだと、やっと気づいた。
こんなシンプルなことから、この歳になって教えてもらえることにとても感謝しています。